2005年 2月議会
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議第5号 公的年金制度の改革を求める意見書案について反対の討論をします。 年金制度は昨年、厚生年金、国民年金ともに保険料の大幅な値上げが決められました。一方給付のほうは大幅な引き下げが決められ、この不況の中2023年までには15%もの減少となり、2ヶ月分もの年金が消えることとなってしまいました。これが国会の議決を経なくても毎年、掛け金が上げられ、そして給付が削られるようになってしまいました。わずか月46,000円の年金の人が39,000円に、3万円の人は25,500円と一律に下げられ、これはまさに、憲法25条で「健康で文化的な最低限度の生活」を保障した国の責任を投げ捨てる歴史的な大改悪といわざるを得ません。 しかも問題なのは、今回の改革で真っ先でやるべきであった、すでに国会で決められていた「04年度までに基礎年金に対する国庫負担比率を3分の1から2分の1に引き上げる」という法律を違反して先送りしたことです。これは10年来の懸案事項であり、94年に「基礎年金部分への国庫負担の比率が低すぎる」という批判に対して「2分の1を目途に引き上げる」という衆参厚生委員会で全会一致で議決し、99年には実施に移すべきものだったのです。ところがどうでしょう。政府は99年の改定時にも「財源がない」ことを理由に再度国庫負担の増額を先送りするとともに、「平成16年までの間に安定した財源の確保をし、国庫負担の2分の1に引き上げる」ということに変更してしまいました。さらに昨年の改定での与党合意文章では「国庫負担を絶対に先送りすることなくあらゆる手立てを講じて」といいつつ、今度はなんと「平成21年度までに2分の1にする」として「絶対に先送りしない」といいながらまたもや先送りを宣言するという、自ら法律で決めたことを守らないという断じて許されない態度をとっています。 私は昨年の6月定例会において、「年金制度の充実・強化を求める意見書案」の採択が行われた際に賛成討論にたち、前回はわずか27対29という僅差で否決されてしまいましたが、年金問題の本質的な点での充実・強化を求めました。 今回の、この意見書案は複雑な制度の問題や、制度への不信感に起因した未納・未加入問題についてもふれられており、「制度の見直しを行い、信頼を得られる制度にする」点は私達も否定するものではありません。しかし今回の意見書案に賛成しかねる点は、1にふれられている一元化するかどうかではなく、まさに憲法25条で保障している生存権を実現するかどうかであります。 現在のような「暮らしていけない低年金制度」を放置しておいて、さらに一層「高い掛け金、そして下げられる給付」にしてしまうことでは本末転倒になります。もし、一元化したら、国民年金加入者は掛け金が引き上げられ、一方の厚生年金加入者は給付が下げられることになります。また今財界などは「年金の二階部分は事業主負担なしにして、全額労働者負担」ということを主張していますから、そういう議論の入り口になりかねません。 こうした点で、一元化についての項目の削除を申し入れましたが、受け入れられなかったことからも繰り返しますが制度の信頼の確保などの声は否定するものではありませんが「一元化」についてはこのように容認できません。 また、2の未加入者・未納者の減少にむけた適切な措置は大切ですが、実際に深刻になっているのは、この保険料の空洞化問題で膨大な数の未納者がいることです。未納率は02年度でほぼ4割、37.2%に達しているといわれますが推計では680万人に上ります。政府の言う未納者の定義は過去2年間にわたり全く保険料を払っていない者であり、その間に一回でも保険料を払った人は未納者にカウントされていません。この未納・滞納者は1000万人にものぼるとも言われており、さらに保険料の納付期間が25年に達しなければ受給資格そのものが失われ、「無年金」になってしまうことは依然大問題のままです。 現在、若者の未納問題等にも起因して携帯電話料金に便乗して保険料の徴収も行おうとする動きもありますが、ただ単に収納率を上げるための強制的な取立てが横行するようなことなどは容認できません。 今まさに年金問題で行わなければならないのは、一元化などの制度体系の見直しではなく、国庫負担の増額を行い、保険料の値上げや、給付の削減をさせない、また無年金や低年金や空洞化の問題に対し、国としての責任である、憲法25条で保障された生存権を保障する立場をとらせてこそ、国民が高齢期を安心して暮らせる制度にすることができると思います。以上申し上げて、本意見書案に対しての反対の討論とします。 |