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2005年 12月議会 石坂議員の一般質問(12/12)

* 記事はすべて、共産党県議団事務局のテープおこしによるものです。

  1. 少子化対策について
  2. 産婦人科医師不足について
  3. 自治医科大学生の奨学金について
  4. オリンピック帳簿問題について
  5. 浅川の治水対策について


1、少子化対策について

 長野県の新年度予算編成方針でも、全国より速いペースで進んでいる少子高齢化を踏まえることを余儀なくされていますが、私は、少子化は、決してどうにもならない宿命ではないと考えています。OECD(経済協力開発機構)は、G7、7カ国中6位にとどまっている日本の出生率を保育所の増加や育児経費の負担軽減などの政策努力で現状の1.3から2.0まで引きあげられると言う試算を明らかにしました。また、今年度の政府の「国民生活白書」では、ヨーロッパで2位の高さまで出生率を上げたフランスの雇用や男女平等、子育て支援の公的支出の手厚さ、きめ細かさが詳しく報告されています。イギリスでも、デンマークも出生率を上げています。
 少子化克服のため、県として取り組む具体策は何か、知事の見解をお伺いします。


      【答弁 田中知事
       今ご指摘がありましたように、かつて類を見ない少子高齢社会が到来している日本の中では、本県は14歳以下の年少人口割合は2005年は14.5%でございますが、これから30年後の2035年は10.7%に減少しているという形であります。この中で副知事の澤田祐介を筆頭にいたしまして、少子化対策のプロジェクトチームというものを作っております。これはプロジェクトチームに終わらないようにすでに澤田からも指示をいくつも出しております。先ほど来申し上げましたようにもう15年、20年、先送り、思考停止状態でございました県を一気に解凍していくということは、これもまた逆に氷が解けて水が水位が上がるということかもしれませんが、これは内水氾濫なのか否か分かりませんが、いずれにいたしましてもこの問題に関しましてはやはり基本的に子どもを育てる時期があっても社会にその間も時間的制約があっても貢献ができたり、あるいはその後より前と同じように復帰して貢献できるという観点、ある意味でいえば扶養家族状態でいるということが決して社会貢献してないことじゃなくて、子育ても立派な社会貢献でもありますし、そのほか家庭の内外で働くことも社会貢献ですから、こうした中でその間の子育てというものを核家族化していますので地域で支えあえるような仕組み、こうした中で子育ての不安感や疎外感、こうした精神的負担を解消していけるようなことを現在議論をいたしております。この中においては、例えば1歳児保育事業、私ども保育士の加配ということに関してもゼロ歳児をはじめ相対的には他の都道府県より行なっていますが、これはより充実している諸外国を見ればきりがないのではなくて、まだ途上であろうと思います。あるいは、自分が疎外されている、孤独ではないということを感じあえるということが、自ら行なっている公園デビューという形ではない形でやはりいい意味でのおせっかいではない形での気の利くばあさんというか、こういう方たちと地域の中で交流相談できる場をきちんと作っていく必要があるのではないかということ。あるいはそうした取り組みをしている市町村やNPOへの助成というようなこともあろうかと思います。また例えば子どもの病気である方の保育、あるいは延長の保育、休日の保育、お泊り保育とかあるいは仕事していない方でも逆に子育てに集中するために他のご両親をはじめとするご家族とお出かけになるときのようなお預かりをする保育とか、こうしたことが民間というだけでなくどのようにして地域でできるか、幼稚園と保育園を良い意味で統合していくということはあると思いますし、学童保育というものも現在の学校の校舎を使って文科省と厚労省の枠を超えてより充実できるように箱を作ることだけではないことをしていく、こうした中で小児の医療費の無料化というようなものに関しても独自に努力をしている市町村があるわけですから、この年齢の引き上げということを抜本的にどのように考えるのかということも内部検討しているところでございます。形としては少子高齢をストップするための県民会議を設けるというような形もあろうかと思いますが、とかく本県は議論をすることだけが目的というか議論で充実してしまうというところがありますので、まずはそれぞれ我々の職員が先ほど申し上げたように職員以前に一人の、おそらく多くの者は父親や母親やあるいは地域のお兄さんやお姉さんでありますから、そういう者が実際にやっていることをまた行なうべきだと思うことを実現をまずはして、不具合を直していきたいと思っております。以上であります。



 小泉「構造改革」というのは雇用や社会保障を破壊し、若者の2人に1人が不安定雇用、年収は平均で106万円にすぎない、こんな生存権さえ危うい状況で、どうして安心して結婚し、子どもを産み育てることができるか。ということを訴えたいと思います。少子化の克服は、弱い者いじめの深刻な日本社会のゆがみを正す、重要な課題です。知事並びに副知事のいっそうのご努力を強く要望しておきます。



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2.産婦人科医師不足について

 次に、県内の産婦人科医師不足に対する対応について、衛生部長にお伺いします。
 今年になって町立辰野病院、厚生連安曇総合病院、来年からは下伊那赤十字病院、豊科赤十字病院がお産ができなくなるといわれています。個人の開業医の高齢に伴う産科の閉鎖も続き、残念ながら出産できる病院は減り続けています。
 飯伊地区での飯田市立病院を核とした地域の医療機関の連携の努力など、基幹病院への集約化も当面の打開策にはなりますが、厚生労働省の資料によりますと、診療科別の医師数の年次ごとの推移のデータ、内科や外科、循環器科、精神科を始めとする他の診療科の医師数は増えていますが、一時心配された小児科の医師も持ち直しているものの、産科の医師は90年以降12年間に450人以上減っています。拘束時間が多く、医療訴訟など、リスクの多い産婦人科の医師のなり手が減っていることが大きな原因と言われています。
 これでは、安心して出産できる環境が失われ、少子化にも影響を与えかねません。産婦人科医師の養成について、効果的な対策をとるように、国へのはたらきかけも強めるべきだと思いますが、いかがでしょうか。


      【答弁 高山衛生部長】
       産婦人科の医師の養成を国に働きかけるべきではないかというご指摘ですが、これはご指摘のとおりと考えております。そのため例えば、全国知事会で医師確保対策に関する要望案というものをまとめていますが、この中に産婦人科に医師を誘導できるような診療報酬上の適正な評価、あるいは産婦人科の医師の養成確保のための施策の充実が明記される見込みになっております。このような要望を通じまして、国・厚生労働省に対して働き掛けを強めて行きたいと考えております。ちなみに厚生労働省の医師・歯科医師・薬剤師の調査によりますと、長野県内の産婦人科の医師数は2004年で176人、人口10万人あたり8.0人でこれは全国平均と同じです。長野県の産婦人科医師は横ばい、全国の平均はご指摘のとおり少しずつ減っておりまして、統計上は縮小しているという状況です。格差が縮小しているという状況です。また県内の10万人当たり、人口当たりの産婦人科医師数が少ないのは上小、これは10万人当たり4.8人、木曽4.9人、佐久5.5人、飯伊5.6人、となっております。佐久は人口当たりの医師数は比較的多いんですが、産婦人科の医師は少ないという偏在の状況があるという状況です。また多いのは松本地区が10万人当たり12.8人、諏訪が10.4人というような状況になっております。以上です。



 
この問題では、私は出産にかかわる助産師の果たしている大切な役割にも、もっと光をあてるべきだと思います。上田市産院の存続を求めているお母さん達は、徹底した母乳育児の支援をはじめ、県内ではただひとつ、ユニセフの「赤ちゃんにやさしい病院」の認定を受けた医師、看護師、助産師の施設一体となった人間らしい温かいケアを評価しています。豊科日赤病院の荻原院長も8名の助産師の献身的な活躍を評価し、助産所としての存続も真剣に検討したが、病院に設置する助産所は常勤医師1名を必要とするため、医師の確保ができなければそれも不可能になると苦悩されていました。
 できる限り自然に、人間らしいお産をしたいと、自宅出産や夫や家族の立会いを希望しても、なかなか助産所や助産師さんにめぐり合えない現実もあります。
 産婦人科の医師不足という現実の中で、県として、情報提供も行ない、助産所での出産も奨励するべきではないでしょうか。衛生部長の見解を伺います。


      【答弁 高山衛生部長】
       お答えします。助産所での出産の奨励についてでございます。それはご指摘のとおり助産師の活用はこれは奨励すべきであると考えております。一方、助産所での出産というそのこと自体を県が指導するというような形はこれはちょっと検討が必要ではないかと考えています。助産所の定義ですけれども、これは医療法の第2条というところに書かれております。助産師がその業務を行なう場所で、病院または診療所でないところという決まりがございます。県内には61箇所の助産所がございます。私ども調査いたしまして、この中で実際に分娩を扱っているところは9つの施設でございます。他の52の施設は例えば育児相談ですとか、保健指導といったことを主な業務としているということです。ちなみに病院あるいは医院で産婦人科はこれは113の施設がございます。そのうち56の施設で分娩に対応しております。2004年度の県内の助産所での出生数ですけれども、これは131人です。すべての出生数は県内は1万9.323人ですので0.7%にあたります。また全国では助産所の分娩は1.0%に相当するそうで、長野県の助産師の数が528人、人口10万人当たり23.9人と全国平均を19.8人より多い現状ですので、統計上では長野県では助産師の数に比べまして助産所の分娩というのは比率は少ないという現状です。ですのでその意味でご指摘はまことにごもっともと考えられると思います。ただ申し上げますが、助産師の業務というのは正常な分娩に関することと限定されております。実際に妊娠中ですとか、あるいは分娩中の容態の変化には常に医師の対応が必要になります。ですのでこういったこともきちんと考慮しなければいけません。医療法にも助産所には嘱託の医師を置くことという定めがあります。ですのでもう一つ、施設の選択は出産される方の考え方というものが尊重されるべきものでもありますので、例えば逆に産科診療所などへの助産師の就業促進といったことを通じて産科の医師の負担を軽減するという考え方もございますので、いろいろな現実的な選択肢というものはあるのではないかと考えております。以上です。



 
私は、助産師会の長野県支部長である助産師さんのお話も伺ってきました。この助産所、長野市内なんですけど、年間40人から50人の出産を扱い、そのうち医師の処置が必要となるケースは1人か2人ということでした。この助産所で出産した人たちの思いをつづった4冊の体験集を読ませていただきました。様々な感動のドラマに満ちています。
 しかし、長野県内の助産師さんはお話がありましたように約500名程度、そのうち、個人で助産所を開設したり、自宅出産の手助けをしてくださる助産師さんは、現在たった10名ということで、産婦人科医師が少ないと言われる東信地区でも東御市にお一人だけと1名いう事で、人間らしいお産がしたいという女性たちの思いと現実の環境は大きくかけ離れていると思いがします。
 安心して出産できる環境作りのため、県としてのいっそうのご努力を要望しておきます。



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3. 自治医科大学生の奨学金について

 8日の備前議員の一般質問への答弁で、自治医科大学を卒業した医師が、「義務年限」中にも「義務年限」があけた後も、僻地診療所にほとんど勤務していない実態に知事は「さかのぼってでも僻地医療に携わってほしい。これは良心の問題だ。」と述べましたが、私も全く同感です。
 そこで衛生部長に、1、自治医科大学生が、入学にあたり大学と交わす契約内容。2、自治医科大学生の入学選考の方法、建学の趣旨に沿った入学の動機の確認について。3、他の都道府県の自治医科大学医師の活用について。4、「義務年限」があけた医師の勤務実態。5、僻地診療所での勤務が可能になる研修期間はどのくらいか。また、「義務年限」の見直しは必要ないのか。の5点をお伺いいたします。


      【答弁 高山衛生部長】
       まず、自治医科大学の学生の入学に際しての契約に関するご質問です。そもそも自治医科大学が設立されたのは1972年でありまして、当時は人口10万人当たりの医師数が114名で山間部ですとか、離島に勤務する僻地に勤務する医師が本当に不足していた、深刻であった時期です。そのために都道府県が共同で学校法人を設立し、僻地勤務医師の養成を目的とする医科大学を設置した、これが自治医科大学であります。学生は各都道府県から2人から3人を選抜します。就学資金は全額貸与となります。9年間所定の地域診療に従事するとこの貸与金の返還が免除されます。自治医科大学の学生は入学時にこの就学資金の貸与に関わる契約、これを自治医科大学の理事長と締結します。契約の内容ですが、契約書に明記されております就学資金は入学料が100万円、授業料が年額180万円、実験自習費が年額50万円、施設整備費が年額130万円です。契約の内容ですが、就学資金の返還、要するに債務の免除の条件といたしまして、まず大学の卒業後ただちに一次試験地、これは長野県ですが、長野県の知事の意見を聞き自治医科大学が指定する公立病院などに勤務し、且つ引続いて医師として勤務した期間が就学資金の貸与を受けた期間の2分の3、これは学部が6年ですので9年になりますが、9年に達し、且つ勤務期間の2分の1は知事が指定する僻地等の指定公立病院等に勤務した場合に返還が免除されると定められております。この条件が満たされない場合は月割りで年10%の利率を乗じた額を返還するということが決められております。また本人が死亡した際は  による死亡または  に起因する心身の故障のため免職された場合は免除されるという規定になっております。これがまず契約に関するお答えです。

       2点目ですが、入学選考の方法ですとか、建学の趣旨にそくした志望の動機の確認についてであります。まず、入学試験、入学選考ですけれども、各都道府県で第一次試験を行ないます。一次試験の合格者が自治医科大学が実施する二次試験を受験します。まず一次試験ですが、通例は1月の末です。数学、外国語、それから理科二科目の自治医科大学が作成した学力試験を行ないます。昨年度の受験生は長野県では43名でした。学力の試験の合格者これは43名中昨年は11名が通過しておりますが、翌日面接試験を実施いたします。総合的な判定を行いまして、最終的な一次試験の合格者、昨年は7名でした。長野県での一次試験に合格した受験生は自治医科大学で小論文、それから面接の試験を行ないまして、2月中に最終的な合格者が発表されます。昨年は最終の合格者2名でございました。それから大学の建学の精神、最初にご説明もいたしましたが、建学の精神というのはこれは自治医科大学の創立20周年誌に中尾よしひさ初代学長による言葉として載っておりますが、「全国の都道府県が共同で設置した自治医科大学は医療に恵まれない地域の医療を確保し、地域住民の保健福祉の増進を図るため、医の倫理に徹し、且つ高度な臨床的実力を有し、さらに進んで地域の医療・福祉に貢献する気概ある医師を養成すると共に、併せて医学の進歩を図り広く人類の福祉にも貢献することが建学の精神である」と定められております。この大学の設置の目的にもなるわけですけれども、建学の精神というものは募集要項にも明記されておりますし、受験生はこれは全員熟知しております。また面接のときにもそういったことは確認をしております。これが2つ目のお答えです。

       それから3点目、他の都道府県も含めた自治医科大学の卒業生の活用方法のご質問です。これは、契約もございますが、都道府県ごとに医師の数ですとか、人口密度、あるいは地形的な条件が異なりますのでそれぞれ活用方法には工夫がされているところです。例えば、北海道ですとか東京、佐賀県、長崎県などは離島への配置の最優先をというふうに掲げております。また、岡山県では僻地の医療の拠点病院に常駐をさせ、その上で僻地診療所を巡回するという活用法を行なっております。これ非常にユニークな方法です。また僻地診療所に期間を定めて配置としているのは、例えば鹿児島県では僻地診療所に4年間、大分県では僻地診療所等に5年間という定めです。近県の例で申し上げますと義務として群馬県と山梨県では3年以上僻地診療所勤務、神奈川県では3年以上の僻地診療所勤務となっております。長野県ですけれども、これもご説明いたしましたように長く明確な規定が無かったと言える状態であったと思います。あるいはやるべきことをちゃんとやってこなかったということが言えるのかもしれません。実態といたしまして、僻地診療所の勤務はかつては1985年から86年に2名、それから1988年に1名あったのみであります。これが改善されるようになりましたのは、2003年からでありまして、一定の数が僻地診療所に勤務するようになりました。2003年は3名、2004年は5名、2005年は6名それから2006年はこれは木曽と阿南病院も含めますけれども僻地診療所と合わせて13名という配置を行いまして改善していく考え方を持っております。今まで何故、過去の長野県が少なくとも他県と同様な配置方針を採れずに結果的に僻地の診療所の医師の充足という自治医科大学の設立の目的を達成できなかった。これは検証する必要があると思います。来年度からの配置見直しでは、「信州新医療圏構想」の中できちんとした病院と診療所の連携をつくった上で、自治医科大学の卒業生を僻地に派遣していきたいと考えております。これによりまして、病院・診療所の連携の中で僻地の県民が安心し、医師も安心して診療でき、地域に定着できる、こういったモデルを示すとともに、直接、自治医科大学の卒業医師が配置できない地域、これは人数が限られますのでそういった地域もでてまいりますが、そういった地域がこの新しい医療圏の考え方の中で既存の医療の枠を見直すきっかけといったものを示して行きたいと考えています。

       4点目ですが、義務年限があけた医師の勤務状況についてです。いわゆる9年間の義務年限があけた医師は42名です。このほかに義務年限を全うしなくて奨学資金の返金ということで対応した医師が3名おります。現在の勤務先ですが、42名のお医者さんのうち、31名は県内に勤務されています。病院に26名、公立の診療所に1名これは長谷村美和診療所の岡部医師です。それから開業は4名です。病院ですけれども具体的に申し上げますと須坂病院に2名、こども病院に1名、県立身障者リハビリセンターに1名、千曲病院に1名、東御市民病院に1名、依田窪病院に1名、伊那中央病院に3名、昭和伊南総合病院に3名、波田総合病院に4名、長野市民病院に1名、篠ノ井総合病院に1名、信大付属病院に3名です。それから県外に残りの11人の先生方がおりまして、11人のうち病院に勤務されている医師が8名、残りの3名は開業あるいは海外在住の方もいらっしゃいます。病院の8名ですが、病院名は自治医科大学に6名、それから聖路加国際病院に1名、都立駒込病院に1名となっております。逆に県外の出身で長野県に定着した医師というのが5名います。まとめますと義務年限があけて県内に定着している医師というのは県の出身の医師というのは73%、義務年限があけて公立の僻地の診療所に定着している医師は1名ですので2.4%ということになります。

       それから最後に僻地の診療所での勤務可能になる研修期間はどれくらいか、また義務年限の見直しは必要ないのかというご質問です。まず、義務年限の見直しの方から申し上げますと、義務年限に関しましては、ご説明のとおり6年間の修学期間に対しまして、9年間の義務年限というのは全国統一です。47の都道府県で一致しておりまして、これは長野県だけの見直しというのができるかどうかよくわかりません。おそらく困難だと思います。むしろ義務年限の中の医師の配置ということをきちんとしていく、これは説明させていただいているとおりですけれども、そこが一番の要点ではないかと思います。僻地診療所での勤務期間ですが、来年度の見直しのポイントといたしましては、まずいままで卒業後は自治医科大学で行なっていた1年目・2年目の初期の研修を県内、須坂病院で行います。それから、3年目・4年目・5年目の勤務は基本的に医師として効果的な研修が可能な医療機関でおこないます。その後6年目以降9年目までですけれどもこの勤務を僻地診療所、県立阿南病院、県立木曽病院のいずれかで行なうという方針を決めました。これによりますと、僻地の診療所というのは4年間は勤務は可能であろうと考えられます。また3年目から5年目のいわゆる後期研修の期間の配置先でありましても、地域の診療所ですとか自治医科大学の先輩の勤務する僻地診療所に代診に行ったり、あるいはバックアップをするといった形で積極的に病院の外へ出て地域の中に入っていく、そういった研修を積んでいただきたいと考えています。これは取りも直さず僻地に送り込むという発想ではないシステムを提案したいということでありましてこれによりまして逆に例えば今後定年を迎える自治医科大学卒業の医師が沢山出てまいりますが、そういった先生方が改めて僻地の診療所に勤務したいと思えるような「信州新医療圏構想」にそった長野県の医療システムを作りたいと考えております。以上です。



 お答えいただいている部分もあるのですが、県では今、「信州新医療圏構想」の名のもとに、様々な医療改革を進めているとのことですが、是非過去に遡っての投資を未来にいかすということで今後の自治医科大学の医師の配置をどうするのか、お考えをお伺いします。


      【答弁 高山衛生部長】
       ある程度お答えしてしまっていると思いますけれども、来年度以降のいわゆる配置方針ですが、初期研修に関しまして県内で行なう、県内で県の病院で研修医としてきちんとした教育を行ないます。その上で3年目から5年目の勤務というのは研修が可能な病院で行ないます。ただこれは県立の木曽病院でありましても、今木曽病院ではカテーテルの検査、非常に多く行なわれておりまして半年で300例といった実績もございます。非常に優秀な指導医の先生もございますので、そういったところで例えば内科の研修をしていただくといったことも考えております。その上で6年目から9年目に関しましては僻地の診療所、それから県立の阿南病院、県立の木曽病院、いずれも僻地の医療を県の責任で支えなければいけない、そういった地域に集中して医師の配置を行ないたいと考えております。これは要するにそこにお医者さんを送る、当てはめるというそういう単純な考え方ではありませんで、お互いに支えあう、ようするに地域の診療所でありますとか、自治の先輩の勤務する僻地の診療所といったものをバックアップする、あるいは代理で診察するといったようなことも含めまして病院から地域に入って地域を支えていくと、医療圏で働くといった考え方の基で研修を行なっていただきたいということを考えております。その上で、安心してお医者さんが働け、これは要するに県民が安心して医療を受けられる、そういうことと同じ意味だと思いますけれども、そういうところに改めて自治の先生たちが就職して下さる。定着をして下さる。ということを願っております。以上です。



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4. オリンピック帳簿問題について

 次に「長野県」調査委員会についてお伺いいたします。
 私は、磯村委員長を始めとする「長野県」調査委員会の委員の皆さんが、極めて限定された困難な条件のもとで、良くぞここまで調査をまとめていただいたと敬意を表します。オリンピックの成功の影で、多くの県民の心に重石のようにかぶさっていた招致委員会の帳簿問題は、処分にかかわった人物が正直に事実を公表しない限り、未来永劫闇に葬り去られてしまうだろうと私は考えていました。
 報告では、長野地方裁判所から長野県への「会計帳簿および帳票の保存、保管について」という書面での問い合わせについて、県として調査した形跡がいっさいなかったとされています。帳簿の一部は、たとえそれがコピーであっても、県庁舎内に存在していたものを今回調査委員会が入手しているわけですから、探そうともしなかったということが事実であるならば、貴重な県費の支出をしている限り、県民を欺くものと言わざるを得ません。
 調査委員会は、今回の報告への意見、異論などを来年5月末まで受けつけるとのことですので、あらためて県としても可能な限り確認し、協力するべきだと思います。知事の見解をお伺いします。


      【答弁 田中知事】
       ただいまの問題であります。平成5年の11月12日に長野地方裁判所から招致委員会の会計帳簿の保存・保管の有無に関して紹介文書が来て、これに関して返送の郵便料金も入った上で送れということだったわけですが、これに対しまして、平成5年の12月15日に当時の知事の吉村午良氏の名前で長野冬季オリンピック招致委員会の会計帳簿および帳票については保存保管をしておりません。2、同会計帳簿および帳票の保存保管場所については承知しておりません。という文書が1ヵ月後に出されたわけです。これに対して、先に「長野県」調査委員会の報告書の中には律儀な現場の公務員の常として通常なら残しているはずの所管部局長から各部・課への調査指示や調査状況の報告書など現場の探索状況を示す資料がどこにもファイルされていない。つまり県は長野地方裁判所からこのような書面を受け取りながらこの1ヶ月間具体的にそういったのもがあるかどうかを調べないさいということを県庁機関という中で行なっていないのではないかという強い疑念を抱いていると、これに関して帳簿の処分を誘導した当事者が地裁から探して欲しいといわれても、探す気にはならなかったのであろうと考えるとあながち不自然ではない。不自然ではないわけではなくて、探す気にならなかったというか、探してはならなかったということは、それはすなわち後ろめたい部分が当時の招致活動に関してあったというこれは私は三段論法が成り立つと、調査委員会は大変慎重に事実に基づいてのところを書いていますけれども、やはりこれは多くの県民が果たせるかな今回の調査によって地裁から求められても県が動かなかったということ、そして、この委員会は最後に書いてありますが支出記入帳のコピーはそれから12年経ってから当調査委員会が収集した資料ファイルの中から発見されたものだから、それ以前の、あっ10年ですね、失礼、10年間経った平成16年3月に発見されているのだから、平成6年の長野地検の捜査段階では少なくともそのコピーは入手は可能だったはずであるというふうに書いております。やはりこのことは極めて本県として県民を欺く誠意の無さであったと思っております。こうしたことでこの委員会はまさに当時の知事、あるいは当時の長野市長にもお話を聞きたいということを申したわけですが、これが法的拘束力が無いということの中で協力ができないという解答をいただいているわけであります。従いまして、また当時の県議会もこのことが全世界の問題となった時にも法的拘束力のある百条委員会のようなものを設置をしないできていたわけでありますし、百条委員会を設置したいというような、調査をしたいというような議会の中の意見があってもそれは大多数でなかったということがあります。ですから、私たちがこの「長野県」調査委員会を作ったのもそもそもその当時において長野県がきちんとした検証ができていない、のみならず長野県がこの問題を隠さざるを得なかったというものがあるという大変に不謹慎な状況であったと、そしてその帳簿を焼いてしまっているという中で捜査権限が無い方々が聞き取りをしながら裏の取れている部分に関してきちんとお書きなわけであります。ですから是非ともこれは私としては、もし皆様が私どもにこの報告書を受けてさらに調査をしろというのであればしますが、これとて到底拘束力が逆に無いということであるならば、法的拘束力のある百条委員会を皆様がご設置なさって、こうした方々をきちんと証人喚問して、そしてその点を明らかにしていくという必要があろうと思いますし、仮に皆様もそうしたことを設置する意思がお示しにならないということになると皆様はこのことの解明をしようというご意思が無い、それはすなわち解明をすると都合が悪いことがこの県議会の方々にもあられると県民から受け取られても致し方ないということになります。この点に関しては毅然とした県議会の方々のご意志と行動というものをお持ちいただきたいと私は思っております。このように先ほどの自治医科大学の問題に関しましても、実はこれは当時県知事がこの病院に勤務するということは由とはんこを押しているということで遡って出来ないという内部の議論がございます。ただ私は非常に不可解でありまして、ダムの本体契約のはんこも県知事が押しておりますが、これに関して私はこの問題への判断を変えたわけでございます。従いまして自治医科大学のこともオリンピック同様にあえて申し上げれば極めてでたらめな状況が非常に多かった県だということです。大変に悲しいことに、そして、そうであるならば私も知事になってから自治医科大学に関してその派遣先を改めるのに2年を要したということは、これは反省をすべき点であろうかと思います。ただ県政に非常に膨大にでたらめであった事項があったということです。そしてそのことを変えてきていますが、しかしながら県費を使っているのであるならば遡ってこれらの医師が心を入れ替えて、より専門的な知識を持った医師に成長しているはずでございますから、これらの者が僻地医療に携わるということはこれはいかなる県民をもってしてもこれを歓迎しないなどということはなかろうと私は思います。ですからこの点に関して、私は一旦かつての知事が決めたことであるから覆せないということでは県民のご理解はいただけないと思いますので、先ほどの自治医科大学の問題に関してはきちんともう一度行なわせていただくようにいたしたいと思っております。オリンピック帳簿問題に関しましては是非とも県議会の方々が車の両輪であられるならば法的拘束力が我々の側にないということならば、法的拘束力をお持ちになられる議会の方々がこれを行なわないということは結果として議会の方々のこの問題に関しての無関心あるいは無自覚あるいは不作為ということになろうかと思います。委員会に関しましてはこうした数々の制約の中でいま議員からもお言葉があったようにかなりの部分のご努力を戴いたと私は思っております。むろん県として今後これをより「広報ながのけん」でお示ししましたが、あるいは募金をなさった方々という方々と、またそれらの方々がその後どのようにオリンピックの施設整備等でご協力を戴いたのかというようなことはこれは良い意味での相関関係として県民に分かりやすくお示しをしていくというようなことは必要かと思います。ただこれは民間の方々も膨大な資料をご覧になられればその相関関係表をおつくりになることは比較的容易かとは思いますが、県はより資料をよりわかりやすく県民にお示しをするという努力は行なわねばならないと思っております。



 5月までに異論、意見がなければ認定を確定していくと言われている事に関し、県に関わることでは裁判所からの書類を捜しなさいと、帳簿を探しなさいという紹介に対して行政実務として捜索の事実が見受けられなかったということを裏付ける確認はしていただけますかということにお答えをいただきたいと思います。


      【答弁 田中知事】
       その点はもちろんいたすところであります。



 オリンピック帳簿問題というのは県民の心に傷になっている問題でもありますので、是非よろしくお願いしたいと思います。



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5. 浅川の治水対策について

 最後に、浅川の治水対策について土木部長にお伺いします。
 平成9年、河川法の改正がされました。そのポイント、そこに定められた河川整備計画に盛り込むべき考え方の基本が今回の浅川の河川整備計画県案にいかされていると思いますが、ポイント、基本についてご説明をお願いしたいと思います。

      【答弁 原土木部長】
       お答えをいたします。河川法改正のポイントでございますが、2点ございます。
       まず1点目は改正前の河川法の柱となっておりました、治水利水の観点に河川環境の観点が導入されたことでございます。
       それから2点目でございますが、地域住民の意見を反映した河川整備計画精度を新設したところでございます。これが2点でございます。 
       それから、河川整備計画に盛り込むべき考え方の基本ですが、河川整備計画は今後20ないし30年の間に河川管理者が実施する河川整備の目標や具体的な整備の内容を明らかにし、広く住民の皆様にご理解をいただくことを目的として策定をするものであります。また河川法改正の趣旨に沿い、河川環境の整備と保全に関する方針を記載するほか、河川の維持管理、河川に関する情報提供、さらに地域や関係機関との連携に関する考え方などを盛り込むこととなっております。以上でございます。



 今ご説明いただいたとおりですが、今まで以上の環境への配慮、住民参加でその河川の特性に合わせた総合的な計画を立てないさいというのが河川法改正のポイントだと思います。それで、今後の総合的な河川整備にあたり、基本高水の設定などを含む長期的な方針を定めた河川整備基本方針と、「おおよそ20年から30年間程度」を計画対象期間とする具体的な河川整備に関する事項を定めた河川整備計画をそれぞれ策定し、策定にあたっては学識経験者、地域住民、地方公共団体の長の意見を聞かなければならない、とされています。まだまだ、この部分の不理解や混同が多くの人の間にあろうかと思われます。
 現在、改修の進んだ浅川では、天井川部分の河床は10メートル以上も切り下げられて基本的に掘り込み河川となり、破堤の可能性はなくなりました。今後の浅川の洪水対策としては、内水対策、都市型水害対策がますます重要であり、これらの対策が、基本高水450トンにカウントできないからといって、浅川の洪水に有効でないということにはなりません。逆に、数字の辻褄あわせのために、地すべり地帯へのダム建設や河道内遊水地などで、仮に450トンが計算上はクリアされたとしても、浅川流域の住民にとっては安全が脅かされかねません。
 私は、今回提案された浅川の河川整備計画「県案」に内水対策が正式に盛り込まれたこと。住民からの提案を受けての土砂対策などが具体化されたこと。などを歓迎し、今後、流域住民や関係自治体に対して河川法や国土交通省の方針の正しい理解を深めていく努力を県としても繰り返し行なうべきだと思っています。青山副本部長のご見解を伺います。

 

      【答弁 青山出納長】
       ご指摘になりました、旧河川法と新しい河川法、改正された河川法、だいぶ基本的な考え方というのは変わって来ております。それで基本的にご指摘にありましたとおりの対応をこれからやって行きたいと思いますし、具体的には、14日から始まる住民説明会につきまして、今ご指摘にありました点を具体的に説明し住民の皆さんの理解を得て行きたいと思っております。なお今議員さんからご指摘ありました、河川法の変わったところというのは今部長が申しましたけれども、その中に含まれているものとして、いままでは工事をやる場合、河川改修をやる場合につきましては、河川の実施計画だけだったんです。今回改正されたというのは整備方針を作って、整備方針の下に計画的に段階的に整備をしていきなさいという形で法律が変わってきているわけです。その点今回私どもは趣旨に沿った整備計画ということで考えた次第でございますけれども、その点も含めて住民の方へ詳細な説明をしまして、理解を得ていく努力をしていきたいと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。

 以前にも紹介させていただきましたが、これは広島県の、これは岩手県の、これは富山県のそれぞれの例えば北上川とか、太田川とかその水系の河川整備計画の新しく出来上がったものです。これを拝見しますといまお話のありました河川法の改正にそって環境問題、植生、そして文化、歴史、人と水との関わり、まさに総合的な観点から様々な点が計画に含まれております。基本高水の数量をどう配分するかという狭い配分だけが河川整備計画ではないと、ここの理解のところを是非県としてもご努力をして、住民の皆さん、それから首長の皆さんへのご説明の徹底に一層務めていただきたいことを改めてお願いをしておきたいと思います。
 さて「県案」の提案時期は、最初は「夏頃まで」、そして「秋まで」、「遅い秋まで」とご説明をされていましたけれども、今回ついに冬になりまして、大幅に遅れてしまいました。その大幅に遅れた理由について、改めて土木部長にご説明をお願いします。

 

      【答弁 原土木部長】
       お答えをいたします。県案の提示が大幅に遅れた理由ということでございますが、県としましては浅川の河川整備計画に関する基本的な考え方を決定する前段として、これまで地域の皆様に説明をしてまいりませんでした、仮称「檀田遊水地」、仮称「田子遊水地」について、まず計画の概要について説明を行い、意見をお聞きしたうえでこの基本的な考え方を決定したいと考え、本年5月より関係区長の皆様に説明会の開催をお願いしてまいりました。その結果9月16日と28日に、まず浅川総合治水対策連絡協議会の役員の皆様に対しまして、浅川の治水対策について説明を行なったところでございます。基本的な考え方を決定する前段として住民の皆様の意見を聞きたいという私どもの意向はこれまでの公共事業の進め方の中では前例があまりない方法でもあり、なかなかご理解がいただけない状況でございました。こうした状況から、まずは河川整備計画を策定するにあたって県の基本的な考え方、今後20年間で何を実施するのかという内容でございますが、これを明らかにし、この方針について関係機関や地域住民の皆様にご説明をし、ご意見をお聞きすべきと、こういうことで判断をしたところでございます。以上でございます。

 この案を固める前に住民の意見を聞きたいということで、非常に手間取ったという趣旨のご答弁だったかと思います。いずれにしましても5月頃に住民の皆さんには遊水地案などについてご意見を聞く説明会を開くという県のご説明だったと思います。その辺が何故手間取ったのかというところをもう少しわかりやすくご答弁いただきたいと思います。

 

      【答弁 原土木部長】
       もう少し細かくということでございますが、分かりやすくと、この5月に私ども基本的な県としてのまずは素案といいますか、まずはたたき台というものを当然持ったわけでございます。それに対して、従来は地元の方にある程度県として考え方がまとまった段階で説明すべきという、通常の仕方はそういうプロセスがあるのですが、今回は前年度に河川協議会、流域協議会、ここのダムに、6案について説明をしましたが、その際にダムのみの議論で終わりまして、遊水地とかこれについて全然説明をしていなかったわけでございます。そういうわけで遊水地これをまずはご説明をしてご意見をお聞きしたいということで5月の段階で私どもたたき台と言いますか、私ども案を持って地域の役員の皆様方に説明をさせて欲しいとお願いをしたわけでございます。そういうことでやったわけでございますが、なかなか地域の中では、まずは役員の方々がまずは了解をしてからでないと責任を持って地域の方にご説明をできないという、そういうことがございまして何回か関係機関と説明、あるいは調整したりした中で、9月の時期まで役員の方に説明する機会がずれ込
      んだという、こういうことでございます。

 役員が了解しない案でなければ、了解する案でなければ説明を受けられないと、それは100年確率、450トンの案を持って来いと、そうでなければ説明は聞かないということだったのではないですか。いかがですか。

      【答弁 原土木部長】
       お答えいたします。役員の皆様方は450トンを構成する内容、これを県として案を持って来
      なさいということでございました。

 そういう理由で説明を拒否していた組織に、「浅川総合治水対策連絡協議会」という組織がありますが、この会はどのような性格の組織と認識されているのか。お伺いをしたいと思います。

      【答弁 原土木部長】
       「浅川総合治水対策連絡協議会」はどのような性格のものかということでございます。この規約を拝見いたしますと、次のようになっております。長野市の浅川沿線各地区における浅川の治水に関する組織を総括する連絡協議会であり、浅川治水についての調査研究や、勉強会を開催しながら、その対策についてさらに理解を深め、河川改修等流域対策による総合治水対策の早期実現に向けて関係機関に要望活動を行なうことを目的とするとございます。これは設立が平成13年6月でございます。ダムが止まりまして平成13年でございますが、その後協議会として設立されましてその構成メンバーとしましては、浅川地区総合治水利水対策委員会をはじめ9地区12組織の同じような治水対策委員会という名称が各地区にございますが、そういう方々の住民組織の代表の皆さんで構成されていると規約
      ではなっております。

 この会は、発足時に、「浅川ダムに反対しているから」という理由で、日本共産党の県会議員、市会議員を顧問からはずしました。今年度の役員名簿では、田中清一議員も顧問からはずされています。長野市内に数多くの期成同盟会や対策委員会がつくられていますが、考え方の違いを理由に選挙で選ばれた公職の議員を意図的に顧問からはずしているこのような組織は、あまり聞いたことがありません。浅川流域の区長や、治水関係組織の役員を自動的に組み込んでいるこの協議会ですが、名前は「浅川総合治水対策連絡協議会」ですが、「ダムに反対している」議員を顧問からはずす。実態はダム建設推進協議会と言わざるを得ません。長野市では、何も区長さんというのは、ダムに賛成か反対かを公約して選挙で選ばれるわけではなく、ほとんどが1年交替で、ダムに賛成の住民にとっても反対の住民にとっても、区民の調整役であるはずです。浅川総合治水対策連絡協議会が、決して浅川流域住民の治水対策に関する意見を代表するものではないということを指摘しておきます。
 さて、基本高水450トンは昭和61年9月の洪水から算出したひとつの計算結果ですが、仮に、この計算結果が適切なものだったとしても、実はこの計算結果は440.06トンだったものを切り上げて450トンにしたものです。鷲沢長野市長は、口を開けば「治水安全度を守るために、1トンたりとも下げることは認めない。」と主張していますが、計算結果を約10トン上乗せしてある基本高水を根拠に、「1トンたりとも下げることは認めない。」と主張すること自体、大変こっけいとしか言いようがありません。
 昨年10月の台風23号では、長野気象台が1889年(明治22年)に観測を開始して以来115年目に記録した最大値の、ほぼ100年確率に匹敵する雨が降りました。その結果、実際に測定された流量は、ダム計画地点が基本高水130トンに対し19.3トン、中流の富竹地点が計算値260トンに対し実際の流量は43.8トンだったというひとつの結果が出ています。
 参考までにお伺いします。今回の「県案」では、ダム計画地点、富竹地点で、どの程度の流量に対応できるのでしょうか。

      【答弁 原土木部長】
       お答えいたします。ダム計画地点と富竹地点での流量でございますが、これは旧浅川ダム計画地点ですが、これにつきましては谷地形であり十分な  がございます。このため河川改修の必要がございません。従いまして100分の1確率規模の流量、これ130トンでございますが、これが流れてきても流下は可能でございます。今回の浅川の河川整備計画におきましては現在工事実施中の河川改修計画をそのまま踏襲しており、河道で受け持つ流量、すなわち計画高水流量は変更しない方針でございます。次に富竹地点では治水安全度は40分の1であり、河川改修とため池、それから仮称「檀田遊水地」これにより対応できる流量は100分の1確率の基本高水流量260トンに対し77%、約200トンの流量に対応は可能ということになります。以上
      でございます。

 ただいまのお答えで分かりましたことは、少なくとも昨年の秋10月の100年確率にほぼ匹敵する雨が降ったあの台風災害では今度の県案は十分対応できるということが分かったと思います。
 いずれにしても私たちは、基本高水450トンの数字の呪縛にとらわれた狭い感情的な議論やダムの賛否を乗り越えて、流域住民が納得できる河川整備計画作りのためにお互いが協力し合うことを、広く県民の皆さんに呼びかけていきたいと思います。
 最後に知事にお伺いします。
 浅川の水害と深いかかわりを持つ千曲川の河川整備基本方針や河川整備計画は、国において今なお策定されておらず、天竜川水系に比べても大きく遅れています。千曲川河川事務所の事業費も年々減少しています。
 千曲川の抜本的改修の前進と予算確保のため、国への働きかけを今まで以上に強めていただきたいと思いますが、知事の具体的な決意をお伺いします。

      【答弁 田中知事】
       いま最初に、少し原が緊張気味だったようでございまして、先日の68トンというのに対して2倍以上の200トンに耐えうるという計画なわけでございます。ほぼ100年確率の雨が降ったときに68トンであった場所において200トンを耐えられる計画ということですから、現時点での現実の問題の2倍以上に耐えられるということでございますし、また先ほどの浅川総合治水対策連絡協議会はどのような性格の組織かというご質問で、これはまさにダム計画というものではない治水を目指すと言った後に、ではダム計画ではないために一緒に両輪となって協力していこうという形でのご議論がどのくらいあったかというと、これはそうではないご議論の方が多かったのではないかと、ご発言等を報道で拝見する限りでは私は認識しておりますし、またそうした中で今議員がご指摘になったような議員の方がそうした場所から役職からなかば一方的に抜けさせられてしまうというのは民主主義の上で由々しきものだと思いますし、また改めてこの顧問の名簿を拝見いたしますと下条みつ議員、篠原孝議員、北澤俊美議員、倉田竜彦議員と民主党の方々もいらっしゃいますから前原誠司さんのみならずダムによらない治水を目指されていた菅直人さん・・・(副議長が質問の趣旨にそって答弁をするようにと知事の答弁を遮っているため知事答弁が聞き取れない)・・はいかばかりかと思っています。こうした点の中で私どもは今ご指摘のありました内水被害の軽減のために千曲川の改修促進が不可欠であるということは従来から深く認識しているところで、これは関東地整をはじめとする三地整とのお話し合いの場所でも常々お願いをしているところであります。こうしたことは第12回の浅川流域協議会に出席をしたときにもご出席者の方々から多くご指摘をいただいておりますので、県としてはこの点を積極的に国に働きかけていくということであります。同時に私どもは天井川の改良をいたしましたし、あるいは河川改修も行なってきました。先に述べたように河床整備という河床の浚渫というものも秋口に予算を組んで行なうというような形をしております。これは私の就任前にはこうした記録や、こうした実施もほとんど無いという状況でありましたから、いま目の前の問題を解決をする、そして今回お示しをしている問題もいま目の前の問題をより迅速に充実をして解決をするというものです。この中で内水の問題に関しても積極的に申し上げて行動
      をさせていただくところであります。

 12月10日、勤労者福祉センターの教室に会場あふれる140人が集まりまして、今回の県案と新河川法を学びました。青山出納長がその席で「皆さんふるさとの川じゃありませんか、角付き合わせることなく、力を合わせて安全な川にしてまいりましょう」と本当に私は感動いたしました。これからも力をあわせて安全な川づくりがんばっていきたいということを申し上げまして、以上で質問を終わります。



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