2006年6月県議会 |
7月3日 びぜん光正議員
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議第4号
「教育基本法改正について慎重審議を求める意見書」についての提案説明 |
議第4号「教育基本法改正について慎重審議を求める意見書」についての提案説明をいたします。 政府は本年4月に、教育基本法の前面改定を閣議決定し、先の通常国会に提出しましたが、国民の慎重審議を求める声があがる中で継続審議とされました。 教育基本法は、すべての教育関係の法律の大元にある文字通りの基本法です。「教育の憲法」と呼ばれ、憲法に準じる重みをもった法律です。 国会の趣旨説明の中で政府は、「現行法にいかなる問題点があるのか」、「どこが時代の要請に応えられなくなってきているのか」説明ができない状態です。 教育基本法改定を推進する元文科大臣などは、「いじめ、校内暴力、不登校、学級崩壊、学力低下の問題」、「若者の職業意識の希薄化や青少年による凶悪犯罪の増加」、「拝金主義やルール無視の自己中心主義」などをあげつらい「現行の教育基本法はもはや時代に適応しきれなくなった」「ライブドア事件、耐震偽装事件などもみんな教育基本法のせいだ」とまで述べていますが、これらの問題の原因を教育基本法に求めるのは全くのスジ違いであるといえます。 教育と子どもをめぐるさまざまな危機の根源は教育基本法にあるのではなく、むしろ教育基本法の理念を踏みにじってきた政治にこそ責任があるといわざるを得ません。 そこで政府提出の改定案には、憲法に背反する二つの大きな問題点があることがはっきりしてきました。 それは一点が新たに第二条として、「教育の目標」をつくり、そこに「国を愛する態度」など20におよぶ「徳目」を列挙し国民に義務づけていることです。とくに学校と教職員、子ども達には第6条で「体系的な教育が組織的に行われなければならない」と具体的に義務づけています。 ここにあげられている「徳目」それ自体には当たり前に見えるものもありますが、これらの「徳目」を法律に「目標」として書き込み「達成」が義務づけられれば、時の政府の意思によって特定の価値観を、子ども達に事実上強制することになります。これは憲法19条が保障した思想・信条・内心の自由を侵すものになりかねません。首相でさえも国会答弁で「児童生徒の内心にまで立ち入って強制するものではない」と、憲法に保障された内心の自由を侵すことはできなかったのですが、実際教育現場では全国で問題となった、「愛国心」通知書があります。小学校社会科の評価で福岡市のものでは「愛国心」がA、B、Cと三段階で評価されるようになっています。しかし、多くの教師が「評価しようがない」「無理に評価すれば裏表のある人間をつくってしまう」などの声に、首相自身も「評価するのは難しい」といわざるを得なかったあの通知表です。 その後、全国で使われていたことが次々に判明し、その見直しが始まっていますが、問題はこのことが各地の教育委員会が自主的判断で行ったのではなく、2002年度以降の学習指導要領で、小学6年生の社会科の「目標」に「国を愛する心情を育てるようにする」などが明記されたこと、すなわち政府の号令で行われたことにあります。 もう一点ですが、「児童生徒の内心の自由に立ち入って強制しない」は、1999年に「日の丸・君が代」を法制化した際、政府が繰り返し説明し学校等での式典で「起立する自由もあればしない自由もある」、「斉唱する自由もあればしない自由もある」と認めてきたことでした。 ところが東京都や埼玉県などではこの間、卒業式や入学式で「日の丸・君が代」について斉唱に従わない教職員を事実上の処分をしています。 さらに、この「国を愛する態度」などの「徳目」の押し付けだけにとどまらず、戦前、国家権力にコントロールされた反省の上に盛り込まれた基本法の10条についても、憲法に保障された教育・学問の自由を踏みにじられようとしています。来年子ども達を競争に追い立て、「勝ち組」「負け組み」にふりわける、全国一斉の学力テストが中央教育審議会で来年実施されようとしていますが、これはかつて実施され、競争教育をひどくし、学校の序列化など多くの害悪が噴出し中止となっていたものです。すべての学校と子どもに成績順の全国順位をつけさせ、今でも問題である競争と選別の教育をよりいっそう加速させるものになります。子ども達に競争を追い立てることで本当の学力は育たないと思います。子ども達に物事がわかることの喜びを伝え、物事そのものへの探究心を育てる仕事が大切で、そこからこそ本当の学力が育っていくのではないでしょうか。 日本の教育はこの間、国連・子どもの権利に関する委員会から、二度にわたる勧告がなされていますが、繰り返し批判されているのが、「異常な競争教育による、発達障害を子どもにもたらしている」とまできびしく指摘されていることです。 子ども達をいっそう過酷な競争に追い立てる教育基本法の改定は、この国連からの批判に真っ向から反するものであることは明瞭といえます。 こうした中、今世界で注目されているのがフィンランドの教育改革です。フィンランドはPISAという国際的な学力調査で連続的に「世界一」となり注目されている国です。 ここでは、競争主義を教育から一掃し、9年間の義務教育の中で他人と比較するためのテストがありません。そもそも他人との競争という概念がないと言われています。また、学校と教師の自由と自立性を尊重し、教科書検定は92年に廃止し、学校と教師が自主的に選ぶ、行政は教師の管理ではなく、教師が発達することを支援することに重点が置かれています。また何よりも、教育条件の整備において日本の半分の1クラス19.5人と少人数学級で行われ、義務はもとより大学まで無償とされ、教育の機会均等が保障されているそうです。 先日私は塩尻市内旧楢川村で喫茶店を営むフィンランド人の方に伺ってきましたが、日本とほぼ同じ広さの国土に520万人余りの人が住み、少子高齢化がすすんでいるが、やはり他人と比較するようなテストはなく、「子ども達は学ぶスピードはみんな違う、わかる子が教えたり、それぞれの子にあった教師とそれを支える地域の先生もいる。」「教師はわからないことをただ教えるのではなく、答えを導き出すために時間をかけて考えさせる。」と話してくれました。 実はフィンランドは、教育の実践をすすめるにあたって世界の国々から先進事例を取り入れたそうです。中でも、日本の教育基本法が参考にされたといわれています。9年間の義務教育制度によって安定した見通しをもった子どもの教育など、日本の教育基本法が「人格の形成」をめざす教育としてこの精神が生かされたそうです。 今、子どもの権利条約など世界共通の原理とも共通し、世界でもその値打ちが注目されている教育基本法を変えてしまうことは許されないことであります。教育基本法を生かした教育改革こそ強く求められると思います。この法改正は国民的議論も十分に行い、慎重かつ慎重に審議されることを強く要請し、議員各位のご賛同いただきますようお願い申し上げ、提案説明とさせていただきます。 |