「核兵器禁止条約への署名と批准を求める意見書(案)」賛成討論
2月県議会本会議において「核兵器禁止条約への署名と批准を求める意見書(案)」の審議がおこなわれ、賛成30、反対24の賛成多数により可決されました。日本共産党県議団はこの意見書案を共同提案し、藤岡義英議員が賛成討論をおこないました。
議第9号核兵器禁止条約への署名と批准を求める意見書(案)に対する賛成討論
藤岡義英
議第9号核兵器禁止条約への署名と批准を求める意見書案に賛成討論いたします。
「核兵器」と言う言葉を聞いたとき、私は中学生の時に学校の図書館で読んだ漫画「はだしのゲン」を思い出します。
昭和20年8月6日の朝、小学校へ登校中だったゲンは、突然の閃光と爆風で気を失います。偶然にも校門の影に隠れていたため無傷でした。しかし、町は一変し、地獄絵図。家に戻ってみると、父の大吉、ゲンの姉の英子、弟の進次、が自宅に押しつぶされて下敷きに。家族を助け出すこともできず、火災に巻き込まれ、3人は焼け死んでしまいます。無傷だった母の君枝と、原爆のショックで出産した友子も、その後の原爆症で亡くなります。ゲン自身も髪の毛が全て抜け落ち坊主頭になってしまいます。その後、ゲンと出会う仲間たちや、恋人も急性白血病など原爆が原因の病気で亡くなってしまいます。何度も読んでも、涙を流した記憶が残っています。
原爆・核兵器、どんな理由があっても使用することも保有することも、それを使って威嚇することも絶対に許されないと、子どもながらに強く感じました。
一方で、中学2年生で14歳の頃は1985年。まだ米ソを中心とした冷戦の対決構造が続いていた頃でした。核兵器を禁止すること、廃絶することはとても困難だろうとも感じていました。
しかし、広島・長崎に原爆が投下されてから72年を経た2017年7月7日、国連本部で122カ国の圧倒的多数の賛成で、「核兵器禁止条約」が採択されました。そしてノーベル平和賞に101カ国にまたがるNGOの連合体・核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が選ばれました。「世界中の活動家と憂慮する市民たちの惜しみない努力への感謝の印」「広島・長崎の被爆者と、核実験の被害者への贈り物だ」との喜びの声明が出されております。
毎年広島・長崎で開催される原水爆禁止世界大会や、全国各地で開かれる平和のイベント、核兵器廃絶を求める署名運動など、被爆者をはじめとした地道な市民運動と、世界中の核兵器廃絶を求める市民社会との草の根の運動が広がり、また圧倒的多数の各国政府の共同の努力が、世界を大きく動かしました。
国連のグテレス事務総長は、ICANの受賞を受け、「核への不安が最高度に達している時だから、核兵器のない世界の実現に向けたビジョンと強い決意を示すことを、すべての諸国に求める」との声明を出しました。
授賞式に参加された茅野市在住で日本被団協事務局次長・国際部長の藤森俊希さんは「2017年に核兵器禁止条約ができ、ICANがノーベル平和賞を受賞したということは歴史的な年だと思います。これをきっかけに核兵器のない世界をつくる運動が世界的に広がることを期待しています」と語られております。
長野県議会は「非核平和県民宣言」を昭和59年7月4日に、「広島・長崎の惨禍を繰り返さぬように、核兵器の廃絶と世界の恒久平和の実現のためここに宣言します」と、決議をあげた誇るべき歴史があります。
ぜひ国際世論に連帯され、この意見書を採択し、日本政府に唯一の戦争被爆国としての国際的な責任を果たさせるために、この条約への署名と批准を進めることを求めて行きましょう。本日が長野県議会として核兵器廃絶への大きな一歩を踏み出した歴史的な日になりますように、心から願いまして、私、日本共産党県議団、藤岡義英の賛成討論といたします。